日々是好日

小さく呟く毎日の暮らし

鬱病になった本当の理由

 

※長いです

 

 

   鬱病は自分から招いた種だ。仕事が決まった 時点で、鬱病になる可能性があることも視野に入れていた。それでもいいと思った。馬鹿だと言われるし、迷惑だと言われるかもしれない。最低なのかもしれない。

 

   だから、この鬱は他の人とは少し違う。鬱って診断されて、ああそうなんだと思ったけど、普通の人よりも本当は大したショックじゃなかったし、てか別に大したもんじゃないなぁと思っていた。へらへらしてた。倒れたときも、身体が硬直しても、あーあって思った。他人事っていうかね。辛いなって思うときは自分というより、大事な人を泣かせてしまう罪悪感から始まる。

 

   自分に対する慈しみがないんだろう。自分を大切にして、ってこの一カ月何度も言われた。それでも、もしナイフを持たされて『あなたの腕を切ってください。』と言われたら、痛いよりも切っていいんだという安堵のほうが上回るような気がしてならない。切らないのは誰かが泣くからだ。だから、切らないし死なない。死ねば、私は家族の人生を変えてしまうし。

 

 

  自分が嫌いなわけじゃない

  好きでも、そんな感情があるのだ

 

 

 

  『自分は産まれてくるべきではなかった。いらない人間なんだ。親にさえ愛されなかった。友達すら守れなかった。しかも出来損ない。こんな人間に産まれてくるならいっそー×××。』と神様に誓ったあの日の、生きることに対する罪悪感なのかもしれない。

 

 

   そう思わなくていい人生と、そう思わなければいけなかった人生は、住んでいる世界が違う。だから、そう思わなくて良かった人が、そう思わなければいけなかった人を責めるのは、そもそも言語が違うなぁというか、それこそナイフで心臓を突き刺されるほどの痛みに変わる。でも慣れてるから、気にしないフリをする。

 

   痛みが多いと、痛みが麻痺してるから、鬱になっても、体調が悪くて辛いのはあるけど、あまり実感すら湧かない。だから、こうして文章に書く。そしたら何か見えてくる。

 

 

   やることはやった。なんだかんだ親の言われた通りの道を進んだし、思春期のほとんどは我慢に費やした。発達障害を乗り越えるために死んでもいいと思うくらい働いて自分を矯正した。クソみたいなゴミ箱の自尊心も、1から自信を作っていった。あんなに憎んでいた自分を好きになったし、お前の顔が嫌いだと言われて写真を撮れなくなったのも無理矢理治した。社会不安障害やコミュ障(緘黙症)を治すためにやりたくないことだってやった。家族も立て直した。無理矢理感情を捨てて親を好きになった。

 

 

    だけど、、、ずっと殴り捨てたかった。このやらないといけないリストを。いい人間矯正リストを。親を憎んでいたかったし、感情を爆発させて不良になってもよかった。自分の感情のままに生きれたらどれだけよかっただろうか。恨んでなんかないけど、あの時に戻って自分を助けたかった。

 

  ”もっと楽に生きなよ。もっと無理しなくても生きられるよ。あなたのままでいいよ。”

 

   そう言われるたびにドロドロの言葉が出そうになって口を塞ぐのだ。うん、そうだよね〜って笑う。またストレスが溜まる。もってないからだよ。もってないから楽をするわけにいかなかったの。もってないことを言い訳にしたくなかったから。楽に生きられるのは、産まれた環境が幸せな人で、能力もあるからだ。

 

   お金だけはあるけど愛情や相手への思いやりがない、そんな家庭だった。でも、好きを続ければ嘘だって本当になるかもしれない、嫌いでも続ければ本当になるかもしれない。家族が落ち着いた段階でそう考えられるようになった。結局続けただけあって、変われたけど、やっぱりストレスが半端ではなかった。

 

  別に豊かな生活とか望んでない。お金持ちになりたいだなんて特別思わないし、普通であることを平均であることをしたいわけじゃないんだよ。

 

  ちゃんとした大人になりたかっただけなんだ。どんなことがあっても親を許せる自分になりたかった。事故にあってから私は変わった。

 

  自分が死ぬという恐怖や信じていた大人に言い訳されて責任転嫁で逃げられたことは、かなり深い傷になったし、おかしくなった私から逃げた両親のようになりたくなかった。許さなければ、私は一生恨み続けなければならないし、それは自分に良いことなんて何も生まないと思った。なにより、目の前で私と同じく事故に巻き込まれて死んだと思った妹を守ると生涯決めたから仲の良い家族を作ることを諦められなかった。

 

   障害も、親も、環境も仕方ないと思う。だって子供の私には変えられなかったし、先天的な要因なんか誰も悪くない。受け入れるしかない。親だって人間だし完璧なわけない。ただ問題はその時に凍りついた感情が今もまだ時間が止まったままで心の中にある。

   

   たくさんの感情がその日のままで止まっている。たった9才の頃に母親があきちゃんはいらないと出て行った日も発進した船のプロペラに巻き込まれたことも、事故後の14才の私も、家族や親友に見捨てられたことも、宗教にのめり込んで我を忘れた母親の姿も、鮮明に覚えている。普通なら忘れていいようなことが忘れられない。

 

   その記憶が消えないのは私の脳による機能障害から起きている。PTSD当事者の発達障害者率はかなり高い。私はボーダーで障害者というほどではないけど、仕事も薬がないとできないし、かなり治ったと思うけど未だ記憶に囚われ続けている。

 

    まあ結局は障害なんて自分の責任になる。誰も理解なんかできない。薬がなければスタートラインには私は立てない。死ぬ気で走ってやっとスタートライン、そこから走り続けなければならない。倒れて身体が動かなくなるなんてかなり異常だよ、あり得ないと言われるけど、ただ自分がどこまで一般的な普通でいれるのかを測ったらそうなった。それが私の普通なんだよね…。それをしたのは、甘えられなかったからだ。

 

    達成できたこともたくさんあった。死ぬ気でしないと、なんというか自分の限界値なんてわからないから。私はそこでやっと甘えることを手に入れた。だってやりきった。もうこれ以上は頑張れないだから、障害のせい、でいいよね。だってもう身体が動かないし、薬に頼ることは甘えじゃないよね。って割り切れた。それがどうしてもできなかったから、倒れたことでもう頑張らなくていいんだって楽になれた気がする。

 

    読字障害の息子をテーマにした漫画がある。その息子くんの気持ちがものすごくわかった。「うちの子は字が書けない。」という漫画。障害というのは、自分の能力を諦めることが努力不足なんじゃないかと思えてしまうから、彼は早くにサポートを受けられてよかったと思う。ずっと努力が足らないと責められた私には、理解者がいるのは羨ましい。わかってはいても、どうして出来ないんだと365日自分を責める日々も辛かったな。。

 

    だいたい障害がはっきりしたのは今年だし、、。大学二年の時はボーダーと言われたり、言われなかったり、病院によって違ったけど、働けばすぐわかる。自分は異常だと。

 

   私は精神的に不安定とかではない。自分に自信だってあるし(倒れる直前に、やれば出来るんだってわかったから手に入れた自信)、ただやっぱ生き方に問題があるのは重々承知なので今後変えていこうと思う。

 

 

   ”小さな頃からの我慢というか自己主張が出来なかったこと、どうしようもない様々な境遇(事故など)から自分自身を見失い立ち直らなければならなかったこと、PTSDによるフラッシュバックや記憶障害に悩ませられていたこと、発達障害を自力で克服したくて倒れるまで働いたこと”

 

  これが鬱になった本当の理由。

 

 

 

  

   最近は本当に鬱がよくなった。体力はないけど、映画も、遊園地も、小さなことも面白いと思える。去年の今頃は苦痛でしかなかった。楽しむことが出来なかった。痩せたけど、笑顔になったね、よかった。と友人に言われた。今は心から楽しめる、それだけで幸せだなぁと思える。幸せの程度ほんと低い。治ったのは彼氏のおかげだと思う。スポーツさえ出来れば多分圧倒的に良くなると思う。身体動かすの好きだし。

 

    途中泣きながら書いて、殴り捨てたいっていう気持ちが初めて出てきたのに驚いた。殴り捨てたかった、本音だわ。ほんと殴り捨てたかった。でも、殴り捨てたらもっと大きなものを失ってた。感情に負けた人間になりたくなかった。

 

 

   理由というのはどうしても長くなる。簡単じゃない。仕方ないという論を押し付ける私。自己中で申し訳ない。